欲しいものを手に入れる3つの秘訣 例えばポルシェ〜

欲しい、欲しいと思うから、手に入らない。

好きだ、好きだと思うから、わかってもらえない。

 

とことんまで欲しがり、とことんまで好きになって、

 

「もう、いいや」

 

と、肩の力が抜けた時、手に入る、わかってもらえる、という。

 

まぁ、そうだよね、と思う。

けど、なかなか、できない。

 

まず、そこまで欲しがれるか。好きになれるか。

欲しい、欲しいと言いつつも、好きだ、好きだと言いつつも、そのうち忘れてしまったり、他に目が移ることも多い。

 

ということは、もう、アタマがおかしくなると言えるほど、欲しくなったり、好きで、「いつづけられる」かどうかが、関門だということ。

 

いや、本当に欲しいなら、好きなら、何も言われなくても、意識なく、自然と続いているはず。

 

だから、無意識に、無自覚に続いているコト、モノ、ヒトには、大きなヒントが眠っている。

 

ところが、表面上の意識は、あれが欲しい、あの人が好きだ、と思ってしまう。ということは、そのコト、モノ、ヒトの奥に、本当に欲しいものがあるのだ。

 

では、私は何が欲しいんだろう…

 

そうそう。

私は、今、ポルシェを欲しいと思っている。

 

ポルシェ…

理屈では、いろいろ言える。

 

職場の同僚に、なんと言うか。

ご近所さんに、どう説明するか。

そもそも、家族に、どう認めてもらうか。

 

他人には、ごもっともなことを言って終わらせていいけれど、自分だけは、自分のホンネに正直でありたい。

 

結論から言えば、私はポルシェというカタチに、

 

「スゴい自分」

 

を見出したいのだ。

 

どうポルシェのモノとしての良さや魅力を語ろうと、ホンネはそこにある。私はそれをハッキリと認めて、できるなら、そんな自分を褒めたいと思う。

 

〜ポルシェというわかりやすいカタチに、スゴい自分を見出そうとしている〜

 

他人は、そんな私のホンネを見透かして、陰口を叩くかもしれない。

 

だが、誰が私を笑えるのだろう。

 

名門校というネームに、スゴさを見出していないか。

有名企業というネームに、スゴさを見出していないか。

我が子を有名私立に入れたということに、自分のスゴさを見出していないか。

 

私は、そういうことに、自覚的であることを褒めたいのだ。

 

そして、その上で、ポルシェを買い、有名企業なり、名門校なりのネームを求めたいと思う。そこに本質はない、とわかった上で…

 

私が、心の底から求めているのは、人の少ない、ノンビリしたカフェで、一人、コーヒーの香りを楽しみつつ、ノンビリすることなのだ。

 

そして、自然とお互いに共感してしまう、数少ない人達と、心の通った時間を過ごすことなのだ。

 

ポルシェを買っても、なんとなく満たされず、罪悪感を持ち、

 

ポルシェを買わなくても、なんとなく満たされず、後悔をする。

 

時間の無駄だ。

 

そうか。

欲しいものを手に入れるには、この3つだけを考えればいいんだ。

 

まず、

 

「欲しければ、買えばいい」

 

ただそれだけのこと。

手に入れること、求めることを恥ずかしく思う必要なんてない。

 

次に、

 

「見せかけのくだらないオモチャにお金をたくさん使ったっていい」

 

どんなモノでも、コトでも、ヒトでも、求めることに罪悪感を持つ必要なんてない。

だって、誰かが私のことを好きだと言ってくれたら、単純にうれしいから。

 

そして最終的に、

 

「本当に欲しいものを手に入れてもいい」

 

と、 私が私を認めることなのだ。

私は、ノンビリした一人時間と、共感しあえる人達だけと過ごす時間が欲しいだけだ。

 

なのに、実は、私にはそんなことできない、そんな資格はない、と私が私を許していない。

 

なんだ。別にいいんだ。

 

人生は、私が私を認める旅なのかもしれない。

ちょっと大袈裟かな…