私って、なかなかわかってもらえない…の気持ちをどうすればいいか。

「あ〜この人って、付き合いやすい…」

 

私がそう感じる相手は、実は、あまりいないことに気づき、愕然とした。

 

ということは…

当然、私のことを、そう思ってくれる人も、あまりいない訳で…

 

うーん…

私って、なんて人気がないんだろう…

 

と、しばし、落ちた後、

 

「なんで?」

 

と、考え始めていた私は、実は相当なポジティブタイプだ。

 

さて、考えてみて、気づいたこと、それは、他人への期待が多すぎる?ということだ。

 

私の期待とは違う反応や言葉、対応などが返ってくることが、イヤで、というよりも、不安で、傷つきたくなくて、自分から人を遠ざけているような気がする。

 

実は私は、表面的には社交的で、一人でもパーティに行けるタイプだ。

 

だが、実のところ、フランクに人と付き合うことは、全くできず、鎧を身につけた武者姿で、装った自分が、「私」を演じているというのが実際だ。

 

そんな私が、洋服好きなのは、まったくもって、当然のことで、思わず、笑ってしまった。そして、腑に落ちた。

 

私の全てをわかってほしい。

私の期待通りの反応がほしい。

私の心の平穏を保ってほしい。

 

そんなことを叶えてくれる人が、いるわけがない。

アタマでは、それを理解していて、実際、わかってもらえない、期待外れの反応を受け、心の平穏をかき乱される経験をしてばかりなものだから、自分から人を避けている。

 

そして、私は、さらに一歩、踏み込んでみようと思う。

 

私の全てをわかってくれる人。

私の期待通りの反応だけをしてくれる人。

私の心の平穏を保ってくれる人。

 

きっと、本当は、母にそれを期待していた(いる?)のだろう。

 

ところが生身の人間である母に、そんなことができるわけもなく、わかってもらえないし、期待外れの反応ばかりだし、心の平穏をかき乱してくるのだ。

 

それだって、みんな同じで、私だけ、過酷な親子環境に置かれていた訳ではない。

 

が、私の場合、まず、あまりに小さい時から鎧を身につけるクセをつけ過ぎたところに1つの特徴がありそうだ。

 

私の全てをわかってくれる人を求めるなんて、

私の期待通りの反応をしてくれる人を求めるなんて、

私の心の平穏を保ってくれる人を求めるなんて、

 

「イケナイ」

 

ことだ、と強引に、何トンもある漬物石を置いたこと、何キロもある鎧を身につけるのを当たり前にしてしまったこと…

 

子どもなんて、小学生になったって、欲しいものがあれば、素直に欲しがっていいし、腹が立てばキレていいし、甘えたければベタベタしていいと私は思う。お行儀のよさなんて、親の見栄と言っていい。

 

そう考えると、私は私を褒めてあげたくなってしまった。

 

よく幼児の頃から、何トンもの漬物石を扱ってきたなぁ〜

よくあんな小さな頃から、何キロもの鎧を身につけてきたなぁ〜

よく犯罪も起こさず、とりあえず仕事をできるまでに育ったなぁ〜

 

もちろん、現実的に、私の期待に全て応えてくれる人なんていないけれど、少なくとも、

 

私の全てをわかってもらいたい!と欲張っていいし、

私の期待通りの反応を理不尽に求めていいし、

私の心の平穏を保ってくれることを王様のように要求して、

 

「イイ」

 

んだ!

 

もし、あなたが私にそれを要求しても、私は応えない。

けれど、それを要求することは、心から応援する。

そして、できることは、応える。

 

こういう話を、何となく共有できる人が、「気持ちをわかってくれる人」なんだろうと、私は思う。