トゥモローランドで帽子を買う言い訳して、いいわけ?
私は買い物が好きだ。
中でも、洋服…
たとえ、買えなくても、見ているだけでワクワクする。
それに勉強にもなる。
「今年は、こういうのを売り出そうとしてるのか〜」
「こんな組み合わせがあるのか〜」
などなど、お店に入り、そして、買うための理由を作り出す。
今日は、トゥモローランドで、帽子を買ってしまった。
黒い山高帽。
帽子は、これから、いよいよ必要だし、
黒は持ってないし、
セール品だし、
定価12000円が、なんと、7000円!
それなら、買っても、「いい」、「仕方ない」
それって、本当だろうか?
要は、ただ、欲しかっただけ。
一目惚れしただけ。
誰に叱られるわけでもないのに、なんで、言い訳を作り出す必要があるのだろう。
いや、叱られる、と自分では思っている。
似合わない〜と、言われる。
こんなお金使って、豊かですね〜と、言われる。
まずい…
あの人には、見せないようにしなきゃ…
でも、本当は、「お母さん」に叱られるのが怖いのではないか。
おそらく、私の母に見せたところで、褒めてくれることはあっても、叱られることはなさそうだ。
しかし、こんなことをしていいのか、やっていいのか、身近な誰かの目や声を気にしていて、実は、その奥にあるホンネは、「お母さん」の評価が怖い。
叱られる、と思い込んでいるのは、なぜか。
それは、逆に、「お母さん」には、認めてもらいたい、褒めてもらいたいから、ではないか。
どんなに大切で、かけがえのない母親であっても、別人であることは、間違いない。
自分の価値基準が、自分以外にあるなら、心の底からの平穏を保つことは難しい。
私は、人一倍、人の目が気になるタイプだ。
だが、何とか、自分だけの人生を生きようと、もがいている。
そんな私が、ホンネを綴るブログを始めた直後に出会った帽子。
買ってもいい、言い訳は、ちょっとだけにして、サクッと手に入れた経験は、私の運命の輪を数センチ、動かしたに違いない。
どんな嫌なことも、永遠には続かない。大丈夫。
「あ〜なんて幸せなんだ…」
そう、呟かずにはいられない毎日にしたい。
いや、より正確なのは、いつも、そうだということに気づきたい。
もちろん、腹が立つことや、悲しいこと、悔しいこともある。そんなことは当たり前。
でも、十分に腹を立て、悲しみ、悔しがった後、ふと気づくのが、
「あ〜なんて幸せなんだ…」
ということ。
晴れない雨はないし、明けない夜はない。
そんなことを思っていたら、ある人から、
「あなたのカードは、運命の輪っていうんだよ」
と言われた。
「運命の輪?」
何となくいい感じ。
輪だから、きっと転がる。
運命は1つではない。
良いと感じることも、嫌だと感じることも、起こる。
そういう、流れるような、循環するようなイメージが、とても気に入った。
今、ウンザリするようなことに見舞われていても、そのうち良くなるし、
今、幸せすぎて、悪くなるのが不安なら、悪くなった後、また幸せになるんだから、どのみち大丈夫。
もう、自分は大丈夫と、決めてもいい。
自分のココロに湧き上がってきたことに、正直であろう。